ペットと人のハッピーライフを 出会いからエンディングまで
獣医師・ 動物医療 グリーフ ケア アドバイサー
阿部美奈子先生の合同会社Always

  

 

Always 代表 阿部美奈子

近況報告

8月の診療についてお詫び申し上げます。
7月30日マレーシアをいつもどおり出発、
深夜に羽田につきまして、31日よりジャパンツアーをスタート。
各地を訪れるのを楽しみにしていたのですが、8月3日深夜1時すぎに最愛の姉が急逝、突然の別れに自分自身が絶大なグリーフに襲われました。
 
2日義兄より姉危篤の知らせ。
夕方、母と弟と空港で合流、飛行機で姉の住む別府へ。
 
最期には間に合いましたが病床の姉は麻酔で眠っている状態、家族で囲み
“大丈夫、ここから踏ん張って回復しよう!”
声をかけながら姉の温かい手を握り、頭を撫で、足をマッサージして…
ドクターは安定していると…
 
姪と甥が姉に付き添うことになり、
“明日の朝、また来るからね” と伝えてホテルに向かいました。
部屋にチェックインして1時間、
“血圧が下がってきたから早く来て”
母と弟と急いで駆けつけましたが姉は静かに息を引き取ったところでした。
 
10年前に初期の乳がんが検診でわかり治療、9年余り元気に人生を楽しんでいた姉。
肺に白い斑点がいくつか発見され6月からは主治医の指示通り通院でホルモン治療を始めていたので姉自身も私も回復を期待していました。
 
息切れと発熱が悪化し受診した7月5日、姉は肺炎の治療で入院。
1週間程度で退院できるかと思っていたのですが、1週間経っても症状変わらず。
“抗生剤が効いてないみたい、ホルモン剤の副作用かも?”と姉からメッセージ。
 
Why???
 
姉にはポジティブに返信しても不安や疑問でグリーフいっぱいの私。
そんなときにも“ポートを埋め込み、抗がん剤を始めるから期待できる”と姉からメッセージ。
“お姉ちゃん、強運だからね、大丈夫、がん細胞をやっつけよう!”
今度こそ進行を抑えられると信じながら…
 
姉とは毎日Lineで交流、姉のポジティブな姿勢に私が勇気をもらっていました。
姉のモチベーションを大事にしたかったから
“楽になって家に必ず帰れる”と一緒に祈り効果を信じた2週間。
 
帰国直前から、lineの既読が遅いときもあって不安でしたが
“抗がん治療のあと眠くなるのよ、でも気持ち良い眠りなの”
そんな姉のメッセージから、眠れるなら苦しくなくてよかったと思ってしまった私。
 
姉は自分のことで家族や‘周囲の人に心配かけたくない、不安にさせるのが嫌なのだと何度も私に口止めをしていました。
 
姉自身も周囲が不安や心配の表情で見られるとモチベーションが下がると思っていたのだと思います。姉は不安なこともあったはずなのにいつもポジティブなメッセージを送ってきて脱毛したときのためにウィッグ選びも相談されました。
とても楽しそうにウィッグを選ぶ姉。
 
抗がん剤の効果があり肺は安定してきたと聞いてちょっとホッとしてマレーシアを出発したのが30日。
 
私の帰国直後の31日から1日にかけて呼吸状態が急性に悪化。
ドクターは肺の回復を期待し1日、気管挿管による人工呼吸、麻酔管理下で抗がん治療を1か月継続することを決断されました。
 
その翌日、危篤に…
姉自身、目が覚めないまま亡くなるとは思っていなかったように思います。
 
姉は治療に前向きに取り組み頑張りました。
でも、どの治療も肺の機能を回復させることが本当に無念でなりません。
あの日、姉はジーパンとサマーセーターという軽装で
“ちょっと診てもらってくるわ”と車で向かった病院。
その日まで家事も仕事もエステも…
ありのままの日常を続けていました。
 
観光案内所のツアーガイドとして語学を今もまだ学び続けていた姉。
“別府を訪れる外国人の方々に不自由なくいっぱい楽しんでほしい”
嫁ぎ先の別府を誰より愛し、ガイドブックの制作も。
自らも温泉マスターになり、温泉の楽しみ方を伝えていました。
 
9年も経て肺に転移した乳がん細胞が想像以上に強い勢力を持っていたかと思うと、どうしてお姉ちゃんに!!?
やり場のない悲しみで溢れます。
 
大人になってから遠方で頻繁には会えなくても、lineで身近に感じながら、姉妹って本当に良いなぁって思いながら過ごしてきた日常。
 

昨年7月、別府で姉妹揃って迎えた誕生会。今思えば奇跡的なタイミングで実現。


 
今、その姉がいない。
頭ではわかっていても、こころがその現実を受け入れるのは、まだまだ先になりそうです。
 
私が現在体験しているグリーフ。
この喪失感がこんなにも大きいのは“姉がとても大切な人だったから”
“姉の妹として生まれ50年以上生きてきた人生が幸せだったから”
だからこそ生きていてほしかった。
もっと一緒に笑ったり泣いたりしたかった。
 
なぜ入院を知っていたのに、もっと早く会いに行かなかったのか…
5月に姉が上京した際、仕事を優先して会えなかったこと…
姉が心配かけたくないと言っても、病床に行けばよかった…
本当は私には来てほしかったのではないか…
私はなぜ、ドクターに直接姉の状態を聞くことを躊躇ってしまったのか…
 
次々溢れだしてくる自責と後悔。
答えは存在しないこともわかっています。
 
姉が私や家族を苦しめるために亡くなったわけではないことも。
 
だから私はありのままに泣いたり怒ったり感謝したり笑ったりしながら
これから先の人生も姉とともに生きていきます。
 
グリーフは過酷で残酷だけれど自らの体験こそが深い学び。
グリーフケアの達人を目指してまだまだ修行です。
姉の死を通して新たな視点も見えてきます。
 
私にできることは動物医療グリーフケア。
動物や人を少しでも笑顔に…
ハッピーライフを全うするために必要とされる人間になれますように…
 
I’ll do my best to make a happy life for animals, people and myself.   
 
最後になりましたが
令和元年ペットライフのトータルサポート会社Alwaysを設立、
7月より始動いたしました。
日本全国隅々まで動物医療グリーフケアが行き渡りますよう、今まで以上に、 いろいろな形を考えながら提供してまいります。
 
Always with pets in human life.
出会えたペットがどんなときも心の支えに。
命がバトンタッチされていくハッピーライフを目指します。
 
今後ともご支援どうぞよろしくお願いいたします。

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